10.03.2009

Twitter考(2)

Twitterとは何なのか。前回に引き続き若干の考察を進めてみる。


自動水洗便所
インターネット上の書き込みは「便所の落書き」だと皮肉られることがある。
どこかの誰かの残した【排泄物】のような拝む価値のない無用物だというわけである。



ところで、便所の汚物は水で洗い流されるべきである。それがマナーである。

この【自動水洗機能】を備えた新しい【排泄】ウェブサービスとしてTwitterを考えてみる。
また、人々の時間意識とも絡めて議論してみたい。


直線的時空間意識
画面上には自分及びフォローしているユーザーの最新のつぶやきが常に上位に表示される。
それよりも古い書き込みは新しい書き込みによって流されていく。
「今」の連続的生成がもたらす膨大な時の堆積が過去を押し流していく。

これは2ちゃんねるやmixiなどの旧来のコミュニケーション(掲示板)サービスとは一線を画すると考える。
なぜならば、それらのサービスでは「過去→今」という堆積された時間を、遡及的に通覧するという、「歴史的」で「超越的」とでも呼びうる視点をユーザーに容易に可能にするからだ。
そして、過去のある一点(発言)は始まりと終わりによって静的に画定された【年表】の決められた一点として固定される。

人は上から下に文章を読む。これは歴史的・文化的な拘束である。
そして、時は過去から現在、そして未来へ向けて流れるという時間意識を持っている。これも同様と言えるだろう。
マクルーハンの言う、活字のもたらした直線的な思考、が関係するかもしれない。

つまり、上から下に向けて、過去から今が進行するというタイムラインは非常に理解しやすい。
そして、その【年表】からはストーリーが読み取れる。

United States Of Chinaなる新しい国が登場する【未来の歴史】


「今」を賭ける/駆ける
そのような旧来の一般的な掲示板サービスに対して、Twitterのタイムラインは上に現在が、下に過去がある。(以前からもチャットがこのようなタイムラインで存在したかもしれない。)
Twitterでは「今」のほとばしりが過去の上にあり、より大きな価値を持ち、そして、それは積み上げられてきた過去の流れに接続される必要はなく、無限の未来に開かれていながらも「今」という壁を破ることのできないという限界に囚われた人間が、【不可能な未来への跳躍】によって未来を形作る、というような動的な時間意識に適合的なのではないか。
そのような「今」に局限され、拘束された時空間の視野に基づきながらも動的な時空間の生成をするということを、私たちはしているのではないか。(過去も未来も実体的に把握することは不可能だ。それでも過去を学び、未来を築く努力をする。)


そして、Twitterの【自動水洗便所】式のタイムライン表示がそのような動的な時間意識・体験を少しでも容易にするのではないかと思われる。
このような時間意識が過去の呪縛を解き放ち、【不可能な未来への跳躍】に挑む人間を準備する貢献をするとすれば、Twitterが社会にもたらす便益は単なるコミュニケーションを超えている。



Hudson Mohawke - Hudson's Heeters Vol. 1
Warpと契約した若手注目株の'06に発表されていた14曲のビート集。
最初期のようですが既にかなりの完成度で【未来】を響かせています。

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